退職エントリ(その1)

これから退職するのではなく、2年前の話。
超交流会でお話を拝聴した熊本愛華氏のエントリーを見て、自分もまとめてみようと思った。

aikakumamoto.hatenablog.com

2008年4月1日から2014年3月31日まで、私はとあるメーカー系のSIerで働いていた。
金融業界をお客様として、信託銀行の株主総会議決権行使システムや、銀行のアジア拠点のネットワークの運用や開発を行っていた。

もともと私は情報系の専攻ではなく、学生の時の就職活動も当初はIT業界は全く考えていなかった。
当時行きたかったのは鉄道や不動産業界。鉄道は鉄道マニアだったから、というのも大きいが(笑)、地域振興やまちづくりに携われるというのが業界選びの軸だった。
ところがどっこい、全く箸にも棒にもかからず。
これらの業界は採用が少なく、激戦であったのは確かだが、今となっては私自身の準備不足が大きかったと思う。

そこで私は、IT業界に志望を変えた。
ITを志望した理由はこんなところ。

  • 営業はきつい
  • 採用が多い
  • 間接的ではあるが、鉄道とか興味のある業界に係われる
  • ホームページを作成し、HTMLやCSSコーディングを行っていたように、IT自体にはもともと興味があった

かなり苦戦はしたが、なんとか内定を勝ち取ることができ、私はとあるメーカー系SIerに入社することとなった。

 研修でデータベースやらJavaを学び、Webシステムのようなものを作り、プログラミングの楽しさを知った。
しかしながら、配属先は提案の部署で、モノを作るところではなかった。もっとも、しばらくたったら武者修行ということで信託銀行の現場へ出されたが(客先常駐)

信託銀行時代

AIXのシェルを書いてサーバーメンテナンスをしたり、SQLを書いてデータベースのメンテナンスをしたりしていた。
ただ、運用が主でなかなかプログラミングの機会はなかった。障害対応でJavaのコードを読むことはあったけど。実際にプログラミングをできたのはC言語で作ったログの出力プログラムや、VBAで作った営業日カレンダー作成のものぐらい。
とはいっても、仕事がつまらないということはなく、5月6月に一気にピークが来る総会業務の特殊さとか、業界のことを知ることができたのはよかった。
お客様との関係も良好で、全体としては楽しく仕事をできたと思う。

銀行時代

2年ほど信託銀行で仕事をした後、異動が出た。基本的には異動のない会社だったが、顧客の海外進出に対応する新部署を作るということで、英語ができる(らしい)私がメンバーにアサインされたとのこと。
とはいえ、この部署、まともな仕事がなく、私もしばらく待機要員的な感じになってしまった。
ようやく出てきた仕事が銀行のアジア拠点のネットワークの運用管理強化と再構築の話。ネットワークは初めてで、わからないことだらけだったが、英語ができる(らしい)ということで、海外出張にも行かされて、銀行の海外支店の担当者相手にプレゼンをバンバンやらされた。

そんなこんなで1年が経ち、銀行のシステム部に常駐することとなった。
ここでの仕事は銀行員の業務支援。ベンダからの作業資料をレビューしたり、海外支店の担当者やシステム部の他のチームとの連絡調整を行ったりという仕事。
ここでの仕事では、自席の端末(シンクライアント)からルータやスイッチにログインすることができ、そこでコマンドを打ってログやコンフィグを見ることができた。作業資料の確認もすることで、CISCOの製品に関してはコンフィグを理解できるようになった。

銀行の仕事で面白かったのは、システムが業務を支えている、ということを強く実感できたこと。新しいサービスを提供するにしてもシステムの開発やネットワークの構成変更が必要になり、システムが業務に与える影響が大きい。

あとは銀行システム部のすごさ。システムにかける人数と質は、はっきり言って半端なベンダなら軽く凌駕すると思う。中途採用も積極的で、1年間で5人ぐらい入ってきた。

仕事の負担はあまり大きくなく、やりがいも十分感じられ、職場の人とも関係がよく、よい職場だったと思う。正直、今の仕事と比べてもそう思う。

では、なぜそこから退職に至ったのか。ここまでが思ったよりも長文なので、それは次のエントリで書こうと思う(続く)